青木純の歌う食べる恋をする:人物
2017-12-30T19:26:54+09:00
Goloso204
カンツォーネ歌手青木純の日記
Excite Blog
ソプラノの加地早苗さん
http://goloso204.exblog.jp/26283257/
2017-12-30T19:26:00+09:00
2017-12-30T19:26:54+09:00
2017-12-30T19:26:54+09:00
Goloso204
人物
加地さんとは歌や音楽に対する取り組み方や心構え、大げさに言ってしまえば共通する哲学を持っていることから話が弾み、近い将来、ミラノでのコラボにまで話が発展、大変それが楽しみになってきました。
メッツアニーノのイタリア料理は大変美味しく、普段イタリアに住んで舌が肥えている(はずの!)加地さんも満足して下さいました。食後遅くまで話し込んでいたのですが、笑顔でサービスして下さったスタッフのみなさんに感謝です。
]]>
サルヴァトーレ・ピッコロさん
http://goloso204.exblog.jp/24875328/
2017-07-14T00:25:00+09:00
2017-07-14T00:36:22+09:00
2017-07-14T00:25:22+09:00
Goloso204
人物
サルヴァトーレさんは一流の職人による手縫いシャツで名高い「サルヴァトーレ・ピッコロ"Salvatore Piccilo"」の社長でデザイナーで職人でもあります。僕は知らなかったのですが、セレブのためのピカピカの服ではなく、日常の贅沢を極めた服を作っている知る人ぞ知るブランドだとのこと。このツアーに同行した僕の生徒のNさんがツアー直前に偶然東京で来日中の彼と出会い、自分が習っているこのカンツォーネのマエストロのナポリでのリサイタルを聴きに行く、とiPhonで僕の歌っている動画を見せたところ、では是非ナポリで会いましょう!と云うことになったとか。
忙しいサルヴァトーレはその後ニューヨークに行き、この前日ナポリに帰り、更にこの翌日にはもうミラノに出掛けなければならないというのに時間を割いて、わざわざ僕らに会いに来てくれたのです。
彼は例の3大テノールの一人、ホセ・カレーラスの親しい友人であり、カレーラス自身サルヴァトーレの服の大ファンだという話しを聴いていたので、もっとお洒落で気取った人物が来るのかなと思っていたら大違いでした。職人らしい真面目さと誠意に溢れ、謙虚で飾らない素朴な人柄を感じ、一度で大好きになってしまいました。今回はお互い時間がなくて工房にもお店にもお邪魔できなかったのですが、次回は是非伺いたい!是非いらして下さい!またきっと会いましょう!!とホンの10分ほどの事でしたが、素晴らしい友人が出来ました。
その後一休みして、夜はコンサート以外では今回の一番のイベント、有名な詩人であるヴィンチェンツォ・デ・シモーネさん宅での僕らの歓迎パーティーに出掛けました。これは次回詳しく。]]>
父の撮影
http://goloso204.exblog.jp/21399455/
2014-12-18T00:12:00+09:00
2014-12-18T00:12:58+09:00
2014-12-18T00:12:15+09:00
Goloso204
人物
これは帰り道。信号待ちの車窓から。
]]>
越谷達之助先生20代前半、和歌山師範教員時代の写真
http://goloso204.exblog.jp/21314495/
2014-11-19T00:11:00+09:00
2014-11-19T00:14:27+09:00
2014-11-19T00:11:21+09:00
Goloso204
人物
1909年(明治42年)生まれの先生は1931年(昭和6年)に現・東京芸大の東京音楽学校を卒業後、現・和歌山芸大の和歌山師範学校に赴任され、数年間教員時代を過ごされます。この頃の教え子(附属小学校でも教鞭をとられた)であった93才になられる方から先日当時の先生のお話を伺い、越谷達之助記念会のブログで紹介させて頂きました。
そうしたところ今度は別の、同じく先生が和歌山師範学校で教えておられた頃、先生から直接ピアノを習ったという方のご家族が、当時の先生のお写真の複写をお送り下さいました。それがこの写真です。
先生がいつまで和歌山師範で教えておられたのか正確なところが不明ですが、それは数年の事であったようで、昭和9年〜10年頃には東京に戻られて、俳優として、また三浦環などの伴奏ピアニストとして、そして歌曲の作曲家として活躍を始められたようです。この写真を見ると、映画俳優として活躍された理由も分かろうかというものですよね。]]>
越谷達之助先生和歌山時代の教え子
http://goloso204.exblog.jp/20834751/
2014-06-22T12:45:11+09:00
2014-06-22T12:45:25+09:00
2014-06-22T12:45:25+09:00
Goloso204
人物
]]>
越谷達之助先生の命日
http://goloso204.exblog.jp/20433349/
2014-03-06T21:41:00+09:00
2014-03-06T21:42:59+09:00
2014-03-06T21:41:17+09:00
Goloso204
人物
今日は冷たい北風が吹き荒れていましたが、なぜかお墓に近づくにつれ風が穏やかになり、墓参中はほぼ無風、ぽかぽかと暖かかったです。
まずともかく花を供え、先生は甘いものがお好きだったので、春らしいケーキとコーヒーもお供えしてから手を合わせ1年間の報告。そして今自分が思っていることやらこれからの計画もご報告。
ケーキは置きっ放しにしておくとカラスにやられるので、それからお墓の前に座って僕がお下がりを頂戴しました。お墓に向かい合ってケーキを食べて居ると何だか先生とお茶しているような気分になってきました。僕が話しかけても先生の声は返ってきませんが、心だけはかよっているような気がしました。
そろそろ今年の越谷会のプランも立てる次期です。さあ今年のコンサートはどうしようかな・・・。
お墓のあるお寺(藤沢市の本真寺)境内には美しいピンクの桜が咲いていました。
]]>
越谷達之助先生@パネル展示
http://goloso204.exblog.jp/19649206/
2013-09-13T21:00:02+09:00
2013-09-13T20:57:34+09:00
2013-09-13T20:57:34+09:00
Goloso204
人物
さて高等部教諭時代は文化祭での教職員劇で活躍された様子がまだ目に焼き付いていますが、今回同窓生有志が先生の俳優時代からの資料を集めて、教職員劇までの「俳優」越谷達之助のパネル展示をするとのことです。
*14日㈯ 12時〜17時 *16日㈪㈷ 9時15分〜15時まで
青山の青山学院高等部同窓会ルームです。
僕も明日14日、マンマのライブ(お陰様で満席です)が終わってから、近所なので見に行く予定でいます。 ]]>
Maria Luisa Cioni先生に電話
http://goloso204.exblog.jp/19585931/
2013-09-02T23:35:58+09:00
2013-09-02T23:34:25+09:00
2013-09-02T23:34:25+09:00
Goloso204
人物
これは先生の若い日のスカラ座での舞台姿。
先生の歌声はYoutubeで色々聞けますが、これは1975年スカラ座の<ノルマ>から「清らかな女神よ」です。
今から7年前に先生のお宅を生徒たちと訪ねたときのブログもどうぞ。
]]>
友人の授賞式
http://goloso204.exblog.jp/17476732/
2012-12-21T14:24:00+09:00
2012-12-21T14:27:54+09:00
2012-12-21T14:25:30+09:00
Goloso204
人物
ぼくも彼の作品は随分歌っていますが残念ながら昨日は出番無し。彼のオペラの作品からのアリア、デュエットがまず新南田(しなだ)ゆり、吉田敦、小宮一浩によって歌われました。
↓の写真は上から新南田・吉田、いずれも終演後ロビーで撮影。
それと東日本大震災の津浪に耐え抜いた陸前高田市の松で作られたヴァイオリンを、千人のヴァイオリニストによってリレー演奏される「千の音色でつなぐ絆」というプロジェクトの第1号奏者早稲田桜子が、彼女のために安藤が作曲した新作を演奏しました。このコンサートで演奏された曲のうちこの曲だけは僕は初めて聴く曲でしたが、その曲の美しさ、彼女の演奏の素晴らしさに感動しました。↓の写真は早稲田。
そして最後に、合唱組曲「20世紀のヒーロー」が都立府中西高校合唱部と早春の会合唱団によって歌われました。府中西高校合唱部ですが、僕が10年前この作品をこの合唱部の指導者で僕の国立音大の同級生であった櫛田豊(↓の写真)に紹介。大変彼が気に入ってくれてさっそく取り上げ、更に生徒達にも愛され、それ以来代々大切に歌い継がれてきました。と云うわけで安藤、櫛田両方から昨日も重ねて感謝の言葉を貰い大変に嬉しかったです。
親しく、かつ信頼している仕事仲間が栄えある賞を受賞し、素晴らしいコンサートを開いてくれたことを心から嬉しく、誇らしく思っています。彼の作品を演奏する素晴らしい仲間たちにも。心から「おめでとう!」の言葉を贈ります。
]]>
花輪一郎さん
http://goloso204.exblog.jp/15374434/
2012-02-03T22:17:55+09:00
2012-02-03T22:17:52+09:00
2012-02-03T22:17:52+09:00
Goloso204
人物
花輪さんは享年92歳。肺炎で亡くなられました。現国立東北大学を卒業されてから海軍に入られ、海軍兵学校の教官をされた後、終戦直後NHKに入られ、初めはラジオの、そしてテレビ放送が始まってからはテレビの音楽番組のプロデューサーを長くつとめられました。手がけられた番組は「NHKのど自慢」はじめ僕がよく見ていた番組では「あなたのメロディー」など数多く、日本中の音楽好きの方々に多くの喜びと感動を、素晴らしい音楽番組という形で届けて下さいました。
花輪さんは奥様ともども(誰もが羨むような大変に仲の良いご夫妻でした)僕がイタリア留学から帰ってきて初めて指導した某合唱団のメンバーでした。その頃はもうNHKを定年退職された後でしたが、ご趣味だった絵のほうはしばしば個展を開かれるほどの腕前、歌も大変にお好きで、僕が訳あって合唱の指導から身を引いた後も合唱団の一員としてよくオペレッタやオペラの舞台に立っていらっしゃったり、今日葬儀の行われた教会の聖歌隊でも歌っておられたそうです。また六本木男声合唱団のメンバーでもいらっしゃいました。
海軍兵学校時代の教え子の方(といっても80代)が、当時は大変に優しく穏やかな教官でいらしたと話しておられましたが、本当に静かで穏やかな優しい紳士で、しかし軍人でもあられたせいかちゃんと一本通ったところがあり男らしい方でもありました。どなたからも敬愛され、認められる素晴らしいお人柄で、花輪さんの言われること、なさることは誰もが納得し、従われるふしぎな力をお持ちでした。
生憎僕はご一緒に仕事をさせて頂くチャンスはなかったのですが、僕のファンとして数多くのコンサートや舞台に足を運んで下さいました。よく「歌ももちろんだが純ちゃの語りが素晴らしい、話しも最高に面白い!僕が現役だったら、絶対純ちゃんの番組を作ったんだけどなあ!」と言っておられました。出会った時期が遅かった事はお互い残念なことでしたが、しかし素晴らしい時間も共有させて頂くことが出来、ファンクラブ設立時には発起人を務めて下さったり、コンサート後の打ちあげの席やファンクラブの食事会でなど、いつもお心のこもった素晴らしいスピーチをして下さいました。
牧師様が、花輪さんはもう天国の神様のお側に行っておられる。そこで私たちがこの先やって来るのを待っていて下さるんだと式の中でお話になっておられました。きっと天国からあの優しい目で地上の我々の様子を見守っていて下さり、そして我々が行くのを楽しみに待っていて下さると僕も信じています。この世ではもうお目に掛かれませんが、天国でまた楽しい時間をご一緒させて頂くことを楽しみにしたいと思います。花輪さん、その日までしばらくさようなら。本当にありがとうございました。]]>
三木稔先生が亡くなる
http://goloso204.exblog.jp/15084077/
2011-12-10T00:11:07+09:00
2011-12-10T00:11:02+09:00
2011-12-10T00:11:02+09:00
Goloso204
人物
僕は三木先生が創られた音楽劇団「歌座」の創立メンバーとして参加、1980年代後半は三木先生と共にあったと言っても過言ではないと思います。H2年度芸術祭賞受賞作で「歌座」の代表作「うたよみざる」始め「のはらうた」「ききみみ」「オロチ伝」etc.多くの作品に主演させて頂きました。「のはらうた」では「たんじょうび」「ふゆのひ」など僕のために作曲して下さいました。
稽古の後祐天寺のカフェテリアで夜遅くまで先生を中心に座員達で語り合ったこと、東北地方を中心に日本中を演奏旅行して歩いたことなど懐かしい想い出が次々蘇ってきます。僕がイタリアから勲章を頂いたときに「我が事のようにうれしい!」と祝って下さったことは本当にうれしいことでした。あの優しい笑顔、暖かい人柄をあいしていました。しかし何と言ってもあの先生の美しい音楽。三木先生の作品を歌わせていただき、一緒に舞台に立たせて頂けた事は僕にとって何という幸運と名誉なことだったろうかと思います。
心からご冥福をお祈りします。]]>
弟子の死
http://goloso204.exblog.jp/15060976/
2011-12-05T21:13:00+09:00
2011-12-05T21:15:22+09:00
2011-12-05T21:12:21+09:00
Goloso204
人物
彼女の歌の仲間からの話では、僕に習い始めてから良く声が出るようになり、いままで歌ったこともない新しいタイプの歌が歌えるようになり、レッスンが楽しい、歌えて幸せだと常々話していたそうです。以前はシャンソンやラテンなどを習っていたそうですが、明るく陽気な彼女にはカンツォーネも合っていたようで、うちで覚えたコミカルな歌や甘いラブソングを、難しい難しいと言いながら本当に楽しそうに歌っていました。
またレッスンではとても熱心な生徒で、上手く出来ないところは、悔しい悔しいと言いながら何度も食い下がって納得がいくまで練習していましたし、うまくいくと本当にうれしそうで、教えていて本当に僕も嬉しく楽しかったです。人間的魅力に溢れた人でした。江戸っ子らしい気っぷの良さもありました。師匠の僕を本当に大事にしてくれました。僅か68歳で逝ってしまうなんて・・・。まだまだたくさん素敵な歌を歌えたはずなのに・・・。
弟子は他人ではありません。その字の通り、身内であり家族です。今回初めて弟子の死に向き合うことになり、そのことを身に染みて感じました。家族を失った気持ちです。悲しいです。
明日はR40のライブなので、彼女に教えた歌も追悼の思いを込めて何曲か歌いたいと思っています。]]>
追悼 Anna Cenerini Bovaさん
http://goloso204.exblog.jp/13468831/
2011-04-27T21:31:00+09:00
2011-04-27T22:45:00+09:00
2011-04-27T21:31:28+09:00
Goloso204
人物
この2枚の写真とも、勲章の伝達式後のパーティーの席上での前大使Mario Bovaさんと亡くなられた夫人のAnnaさん。お二人ともカンツォーネ・ナポレターナがお好きで、何度も大使公邸のサロンで歌わせて頂いたり、僕のコンサートにも来て下さったりしたものでした。
ことに初めて公邸に伺った折には夫人から「二つの天国(Dduje paraviso)」、「夜の声(Voce 'e notte)」のリクエストを頂き、歌って差し上げると大変に喜んで下さった事を思い出します。「夜の声」は昔の恋人である新婚の人妻を忘れられない男が、夫と一緒に眠っているであろうその人妻に向かってあきらめきれない思いを暗闇に紛れて寝室の窓に向かって歌うという凄い内容のカンツォーネです。横にご主人である大使が座っているのに、なかなか大胆なリクエストでした。
その大使自身も本当にカンツォーネのお好きな方だったです。イタリア文化会館屋上での野外パーティーに呼ばれて歌いに行った事がありますが、パーティーに参加されていたある日本人が、「あのボーヴァ大使も青木さんの歌を聴いているときは、ただの歌好きのおっさんになってましたよ!」と言っておられた事がなつかしいです。
2年半前にローマにお帰りになり、離日直前にお目にかかったときはローマのお宅の住所などを教えて下さって、是非遊びに来て下さいと言って頂いたのが最後になってしまいました。大使秘書のUさんとも今日お話ししたのですが、あんなお元気だったAnna夫人がこんなにあっけなく亡くなられるなんて本当に信じられない事です。先日の地震の後、大使館からこちらの人間は皆無事ですと連絡を差し上げた際、どうして日本人がこんなにひどい目に遭わなくてはいけないのか!と言っておられたとか。
一昨年ローマに行ったとき、ぼくはお客さんをご案内しての旅でプライベートタイムがほとんどなくてお目に掛かれなかったのですが、たとえ5分でも10分でも時間をみつけてお目にかかってくるんだったと後悔しています。Bova前大使にお悔やみの手紙を出しておきたいと思います。]]>
坂上次郎さん追悼
http://goloso204.exblog.jp/13100096/
2011-03-10T21:48:00+09:00
2011-03-10T21:51:07+09:00
2011-03-10T21:48:19+09:00
Goloso204
人物
僕のミュージカルデビューは東宝の「マイフェアレディ」(1984年日生劇場)でフレディ役でした。その時主役イライザ(栗原小巻さん)の親父さんドリトル役だったのが二郎さんでした。
本来バスないしバスバリトンといった低い声の役であるドリトルを、声の高い二郎さんが歌わなくてはならず、低い声が出ずに気の毒だったのですが、芝居的には本当にぴったりの役でした。僕はカーパシー役の三上直也さんと同じ楽屋だったせいもあって、毎日出番のない時や休憩時間、幕間に二郎さんがお喋りしにやって来ていろんな話しを聴かせて下さったのが思い出されます。今でも覚えているのは・・・、二郎さんが歌手になろうと上京したものの仕事もなくお金もなくお腹を空かせていた頃、たまたま和菓子屋さんでモナカにあんこを詰めるアルバイトをしたことがあったそうです。お腹が空いているのでしょっちゅうあんこを盗み食いしたそうで、「今でもあんこをみるとはがうずくんですよ〜!」と笑っておられました。
また1ヶ月の公演中何度か食事や飲み会に誘って頂きましたが、毎回必ずカラオケになり、マイクを持ったらもう放さず、次々と戦後の懐かしい歌謡曲を歌いまくっておられました。特に「東京の花売り娘」「憧れのハワイ航路」など今でもあの歌声が耳に残っています。そして後歌うときの楽しそうなお顔も忘れられません。心から歌を愛しておられたんだと思います。プライベートでも舞台やテレビ同様に、いつもニコニコと明るく我々を笑わせて下さっていました。あの気さくでチャーミングなお人柄を忘れることが出来ません。
その後数年前まで毎年毛筆での直筆年賀状を頂戴していました。コンサートの時にお花を贈って下さったこともありました。
↑は「マイフェアレディ」の楽屋廊下で写した写真です。左が僕(何と若い!)、真ん中が二郎さん、右はピアス夫人の浦島千賀子さん。浦島さんにも大変可愛がって頂いたことが懐かしいです。
ご冥福を心からお祈りします。大好きだった二郎さん、天国でもきっと皆さんを笑わせておられることでしょう。
]]>
てらきち君
http://goloso204.exblog.jp/12934270/
2011-02-19T16:23:10+09:00
2011-02-19T16:23:09+09:00
2011-02-19T16:23:09+09:00
Goloso204
人物
僕はもう2回徳島に呼んで頂いてコンサートをさせて頂いているのですが・・・、先日『青木さんに会いたいから是非紹介して欲しいと云う知人と今度上京するので会って頂けますか?』との事でした。松島さんご自身は建築のある賞を受賞されるために建築を学んでいるお嬢さんや会社の方と上京されるとのこと。伺ったところ僕に合いたいというその方は3月にイタリアはソレントに行って日本紹介のイベントをしてくるとか。では美味しいイタリアンを食べながらお話しを!と云うことで渋谷の「タロス」にご案内、美味しいサルデーニャ料理を食べながら話が弾みました。
さてその僕に会いたいと言っていたのは「書道詩人 てらきち」君とその素敵なフィアンセ。
彼は目の前で麻紙にまず相手の名前を書き、次にその人の目を見つめ、わき出たインスピレーションを言葉にして「書」としてその場でしたためてくれます。
まずこれは相手を見つめた瞬間の写真です。(この時は同行されたMさんの会社の方を見ています)
次は書いているところ。
そして次は僕が書いてもらった書です。
是非読んでみて下さい。そこには僕がとても大事にしている言葉が3つしたためられていました。「心」「楽しむ」「花」。凄いインスピレーションだと思います。彼の澄んだ眼が忘れられません。
料理はどれもこれもめちゃくちゃ美味しく、お薦めのワインがまためちゃくちゃ美味しく、皆さん大感激(僕も何度も食べてますがその都度感動)、「初めて食べる料理ばっかり!」「こんな美味しいイタリアン食べたことがない!」「今まで食べてきたイタリアンっていったい何だったんだろうか!?」と皆さんの言葉。とても喜んで頂けてご案内した甲斐がありました。素敵な方々との素晴らしい出会い、楽しい会話、美味しい料理、最高ですよね!
]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/